2015/12/14

ミックス

2015/12/10の夜はゲストボーカルのプリプロ録音をしていた。

次のアルバムは原点回帰ではないけれど、色んなジャンルが交錯するようなものにしたいと思っていて、なるべく自分以外のミュージシャンに参加してもらっている。

プリプロ、つまり本番のレコーディングの前に、具体的にどうレコーディングをするかの下書きみたいなものなので、自分の声は自分の部屋の簡易スタジオで事足りる。けれど、ゲストのボーカルを録るには、引っ越したばかりの雑然とした我が家では難しい。

ということで、最近独立してフリーランスになった友人のミュージシャン元WEEKENDの泉水くんがこれまた友人のデザイナー高村くんらとシェアしている水道橋の事務所でプリプロをさせてもらった。

水道橋駅に着くと小雨が降り出していて、少し早足で簡単な世間話をしつつ我々は事務所へ向かった。事務所はとても素敵な内装で、ところどころDIYしたと思われる木製のテーブルや棚があった。棚には現在では貴重な写真集があったり、懐かしい雑誌、何かの撮影で使ったのかシマウマのかぶり物などが置いてある。

早速、ゲストに仮のメロディを歌ってもらい、それを聞きながら歌詞を考えていくことにした。

この曲のコンセプトは「ミックスすることがなぜ悪いの?」というものだ。
その音楽やアート、宗教、食事、ファッションなど、どんなジャンルのものでも、良くあることだけど、陶酔するほどそのものごとが好きになると、排他的になったり、ある種のナショナリズムを生み出す。例えば、「こんなのHIPHOPじゃない」とか「こんなのパンクじゃない」「こんなのアートじゃない」「あの考え方は間違っている、このやりかたこそが正しいのに」とかいう類のものだ。

大体、大抵の物は何かと何かが混じり合って出来ているのが普通だと思うし、我々が生きていくのに必要な水ですら元素記号はHが2つとOが1つ混じって出来ているじゃないか。
などということを最近は思わされることが増えたのでそういう曲を作りたくなった。

「あいつHIPHOPなのにズボンが細い、太めじゃなきゃオカシイでしょ」などと宣っていた輩はいつの間にかアメリカのHIPHOPの流行と共にスキニーを履くようになったり、いや、そうゆう奴ほどあっさりポリシーとかいう意味のない物をむやみに主張しては、流行にあっさり乗っかり、また自分と違う奴を罵る。本当にくだらないと思う。

少し前に観たグザヴィエ・ドランの『Mommy』という映画で自閉症の主人公に母親が「着ているものが違うだけで中身はみんな一緒」というセリフがあったのを観たときに、この曲は生まれた。そういう曲だ。

だからどうしても誰か別ジャンルで活動するミュージシャンとコラボしてみたかった。それで日本ではハーフと表されるミックスの友人にお願いした。

彼は素晴らしい歌詞と曲を吹き込んでくれた。
そして、スカパンクで良くあるコーラスををバウンスしたHIPHOPビートに混ぜるというオレのアイディアを受け入れてくれて、最高のパフォーマンスをみせてくれた。

良いものが出来たと思う。
本番の録音が待ち遠しい。
その夜は偶然にも皆Dr.Martensを履いていた。