2015/12/15

違い

中学生で音楽を作り始めたとき、まず思ったのは「おれだったらこうするのに」を形にすることだった。
音楽を作るのは既存にあるものとは違うものをつくりたいという欲求をみたすためだった。
「ギターソロは難しいし、調子乗ってる感じがダサイから要らない」とか、「長い曲はだるいから出来る限り短い曲にする」、「途中の余計な展開とかなくす」みたいにして、自分が聴きたい自分だけが喜ぶものをつくろうとした。

いまでは、多少聴く人のことを考えたりもするけれど、結局はこの中学生のときの思考が根深くある。それに、みんなと同じものをつくってもしょうがないという思いもある。
結局オリジナルであることがかっこいいと思ってしまうのだ。でも、オリジナルを目指そうとすると、似たようなものをつくる仲間が少なくなるので、いわゆる「シーン」というものが出来にくいし、ハマる居場所がなくなる。

音楽をやるなら、限りなく誰かと似ているものを作った方がDJも掛けやすい。偶然にアウトプットが似てしまうことは仕方ないけれど、マネをしたくはない。

「○○のプロデューサーはこの機材使ってるから同じ物を使う」みたいな思考はうんざりだ。どうせなら人と違う機材を使いたい。天の邪鬼といえばそういうことだけど、人と似ているものをつくって評価されても、自分にとってはしょうがないものだと思ってしまう。


そんな風にして、 demoアルバム『FAMILY ALBUM』は当時流行していたHIPHOPとは真逆のアプローチで作った。シリアスなムードのリリックだったりボースティングだったり、愛やありがとうを歌詞にするのではなく、スラングを使わず、POPでふざけた馬鹿な歌詞のみを使ったコミカルなものだった。

インディーズ最初の全国流通demoアルバムの『SCAMPER TOKYO』はPUNKの要素とJAZZの要素をHIPHOPで表現しようとした。機材はMPCもプロツールスも使っていない。3000円で中古で買ったZOOMのサンプラーとギターとベースとキーボードのみだ。

1stアルバム『MELLOW SUMMIT』は震災のときに作った。ほとんどMPC500で作った。なぜならMPCシリーズでも一番人気が無く使いにくいし、ググっても使い方などまるで見つからなかったからだ。ギターでもベースでもキーボードでも、ほとんどMPCに録音してほとんどこの1台のみで作った。MPC500っていう人気のないダメな機種という価値観に反抗したかった。


2ndアルバム『LIFE NOTE』のときはいつまでたっても90s思考の小箱シーンに嫌気が差していた。なんで20年以上もまえの音楽だけが最高で、現行のものはだめなのだ?という疑問だ。倍速と言われるビート感は今では凄く当たり前だけれど、全くもって倍速のおもしろさに気づいていた人は少なく光る波とHIGHとMUSIC MUSICとPARTY MUSIC、LALALAいう曲を作った。

いつも周りと違うものを作ろうとしてきた。シーンからはどんどん浮いていく。でもそれでいいのかもと思う。とにかく右向け右が嫌いなのだ。

それで、今つくっているものはどうかというと、「他の人と違うものをつくりたいという欲求」に反抗して作っている。自分の体に素直に響く物を作っている。人と違うとか、オリジナリティーとかにこだわりすぎるのも、なんだかくだらない気がしてきたのかも知れない。もしかしたら、これは虚無感にも似ているかも知れない。とにかく今は体の力を抜いてリラックスして作りたい。それでどういうものができるのかが自分でも楽しみだ。

そして、最近続けて長めのブログを書いているのも、「SNSの時代にブログとか熱いこと書いてダサイよね」「メンヘラとか中2の長文とかくだらねえ」という考えに反抗しているからだ。